2018年 11月 19日
おう元気だったか? |
前回の同窓会から丸2年経った頃、次回の幹事を任された僕ら3人は集まった。
久しぶりだったけど、そこは同窓のよしみ。パッパッパっと事は運び、僕が実務全般を引き受けた。
7月10日に第一報「開催を宣言」する葉書を出した。これ、
11月18日(日)木津駅へ集合してんか
駅も駅前の街並みもすっかり消えて、浦島さんの気分で木津高まで歩きましょ。内田山も今はなく、売り出し中の住宅地「城山台」に呑み込まれそう。昔を偲ぶのは難しいけれど、母校を訪問いたします。54年を跳び越えて、脳裏をかすめるものは…
その後は、かねてよりのお約束!送迎バスで「酔月」へ。語るも呑むも食べるもよし、あつく一献傾けておくれやす。
申し遅れました。1964年度卒業木津高校3Aの同窓会幹事を仰せつかりました〇〇・〇○・〇〇です。どうしたら懐かしい貴方に逢えるんだろう?と頭を絞り、繰越金もこの際還元、兎に角みんなこの指とまれ!
10000円をにぎりしめ、この日を空けといてね。
今回の目玉は母校訪問。ぼくが下見がてら訪ねてみたら日曜日だったにもかかわらず副校長が対応してくれた。そして当日もわたしがご案内しますとの有難い申し出。えらい丁寧さに恐縮する僕だった。
10月8日になってやっと、第二報。相変わらぬボクの砕けた文体で詳細を知らせ、
「何年逢わなくてもすぐに打解けられる同級生って心地良い。来し方を振り返るも、たった今を語るも、未来に思いを馳せるも全てよし。貴方のお越しを心よりお待ち申し上げます。」と、返信用の往復はがきを投函した。
54年ぶりの母校訪問が効いたのか、おもしろがって、おおむね好意的な返信を寄せてくれた。今までで一番のノリだけど、これで満足する僕じゃない。返事のないものには、再度直筆のはがきで参加を促したり、友人関係を頼って電話作戦を試みたり。それでも94%回収、全員という訳にはいかなかった。
さて当日木津駅東口に集合。体調と都合の許さない幾人かはパスしたけれど、高台にある学校まで10分間の登坂にも耐えて、無事母校に到着した。副校長さんがお待ちの筈なのに、校長さんも出迎えてくれた。校舎は全て新しく思い出のかけらもなかったが、この校長さんが校内の案内や歴史をひととおりサラってくれた。僕らは50年以上の感懐にふけることになる。山は削られ谷は埋められ、迫りくる市街地はもう別世界だったが思い出は次々によみがえって花が咲く。日曜日にもかかわらず対応してくださった校長先生ありがとうございました。
ここはクラスメートの実家ということで、いろいろ便宜を図っていただく(ま、それはお支払いの時にわかるのだが)、言葉通り「久闊を叙す」に相応しい空気の中で、僕は獅子奮迅の司会業に徹しておりました。「永世幹事‼」などという声がかかったけどそれはない。
今回の遠距離賞は長崎のEちゃん。彼女は今日の内にトンボ返りするんだって、ホントによく来てくれました。他に千葉や東京もいたけど、商品はみんなまとめて司会Oteのハグでした。病を得てかなり厳しい局面を切り抜けた者、只中の者、いろいろあるけど和やかに華やかに時は過ぎ、次期幹事を指名して、あっという間にお開きに。
二次会と言って他に何もない田舎町なので近くの公園へ(健康的だこと!) これが我らが担任E先生。御年82歳で生徒の我々と10歳しか違わない。それに誰よりも元気だ。今となってはもう同窓生のようなモノ。彼はこれまで皆出席で、今回も誰よりも早く出席の返信を下さった。
物故者は6名、脳卒中で歩行訓練中、妻の介護で自由が利かない等で来られなかったメンバーにはきちんと報告せねばなるまい。
by otebox
| 2018-11-19 11:47
| 独り言
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