Oviedoの3つのプレロマネスクにすっきりした爽やかさを感じ、も少しプレロマネスクが見てみたくなってキホーテとサンチョは紙の地図をひろげたのであった。
あった、ここだ。ナビも「遠くない」と言っている。Santa Maria de Bendones。僕らと前後して犬連れの夫婦もやって来て、ロマネスク探訪の仲間であるのが嬉しかった。
見慣れたアストゥリアス風の三連窓と無骨なつけ柱の他は何の装飾もないプリミティブさが、しかしそれだけで十分な祈りの場であることが「プレ」なのだった。周囲の風景も耕地が広がりこんな高床式の倉庫が建つ田舎そのものだった。
いいねいいね、ここで気を良くした我々はさらに奥深く分け入ったプレ探しを考えた。地図で次と言えば・・・あった、ここだ。とナビに打ち込んだのはSan Pedro de Noraだ。
ナビさまの言う通り、どんどんどんどん山に分け入り未舗装のけもの道もなんのその。プレロマネスクに会いたい一心の行軍だったのだが、とうとう道らしい道は消え、草をなぎ倒しながら崖下へ転落しないか、恐ろし気なドライブだった。床下にガンガンぶつかるし、落ちたくない一心でしがみついていたらガリガリとホイルキャップをこすっちゃったよ。もう嫌やわ!道端の民家にSOS,道を尋ねた。プレの場所も知りたかったけど、何とか生きて帰る方法はありませんか。民家の女性は道を教えるより早いと思ったのか「ついておいで、案内するから。」と言った。そして今僕らが通ってきた道(ああ二度と通りたくない)の方へ進む。僕らのC3よりデカいC4で。ずいぶん長く先導してもらった。こんなに複雑じゃ尋ねられても教えられなかった筈だ。僕らは後ろをついて走りながら、神様はいるねと話し合った。名前を聞かなかったケド彼女はきっとMariaさんだ。そう言えばゲルニカのあの女性もMariaさんじゃなかったろうか。これだけの思いをしてでも来るだけの価値のあるプレロマネスク教会が目の前に現れた。Mariaさんありがとう。彼女はそこの村人と話している。僕らは見学を開始した、幾人かお仲間もいて、家族連れだったりお昼の最中だったりした。そこの説明板を読むと、この教会は9世紀創建で1955年に修復されているらしい。今までに見てきたプレの例にたがわず柱頭や軒送りのような装飾はなく、三連窓と角張ったつけ柱だけが装飾と言えば装飾なのだった。今日はどちらも中へは入れなかったのだけれど。入ってみたかったなあ。でも、ま、十分見た気になって昨夜と同じGijonの宿へ帰る。