2015年 11月 06日
撥(ばちる)鏤? |
「ばちる」なんて言われても何のことかと思われる方が多かろう。説明といっても難しいのでwikipediaか辞書に任せるが、手っ取り早くはこのブログにリンクさせてもらってる守田蔵さんのページへ飛んでください。
彼は昔っからの知り合いなんだがしょっちゅう会ってる訳じゃない。数年前、所用あって浄瑠璃寺のあたりを歩いていたらばったり蔵さんと遭遇した。「いやあ久しぶり元気してた?」ってぼくが聞いたら「いや、死にかけてた。」「仕事は?焼きは?」彼はその筋では知られた陶芸作家なのでそう聞いたんだが「力のいる仕事はもうできまへん。今は撥鏤やってる。」「????」そこでお店へ寄ってお話を聞いたり、「芸術新潮」の記事を見せていただいたりして納得したのだった。
彼は若かった時からひょうひょうとした物言いで周りを煙に巻くようなところがあったけど、ときすでに白洲正子さんの目に留まるところがあって全国レベルのモノ創り人だった。そんなこと全く頓着ない…そんなところが僕は気にいってた。僕が仲間たちと年に一二度ジャズライブを催すと彼は必ず聴きに来てくれてたし。まあその程度のお付き合いしかなかったんだが、教育についても一家言のある人だったからよく話はさせてもらった。
と長い前置きを書いて、今日のトピックに入る。
その蔵さんが奈良の「五風舎」で個展を開く。東大寺大仏殿の西隣。道路の突き当りに戒壇院の屋根が見える。手前は入江泰吉の旧居である。 彼はとうとう正倉院の御物(国宝)である撥鏤のすべて8本を彼の手で創作再現したのだという。おりしも正倉院展のさなか…行ってきた方がおっしゃってた。『確かに一本展示していましたが照明が暗くて遠くてよく判りません。』らしい。象牙を染めてあるので退色しない配慮だと思うけれど、ここ五風舎では鼻をこすりつけるようにして鑑賞できましたがな。
象牙の尺を藍や紅にそめて限りなく繊細に刷毛で掃いたような線刻を施してあって、そこだけ象牙の地の色が出て図像になっているのだ。鏡に映る裏側の絵も舐めるように観させていただいた。図柄は鳥や獣に図案化された古代の文様、花や木々の小宇宙だった。
以上で奈良の小さな個展の記事は終わるのだが、ここからが今日の記事ははじまる。
僕が昨日ここへ行ったのは実は東京から知人の来訪に合わせてのことだった。ロマネスク繋がりで僕が師と仰いでいるほあぐら夫妻(この方もブログにリンクさせてもらっています)が、お越しになるというのでお会いしない方はなかろうと出向いたのだった。
僕が着いたのは早めだったから先にみせていただいて外で待っていた。タクシーからほあぐら夫妻と二人の女性もいっしょに降りたのだった。ほあぐらさんからY女史と一緒にとは聞いていたけれど、紹介していただくのも畏れ多いような高名な御方だったので「光栄です」としか言えなんだわ。
さて、彼らともう一度作品に向かったのだけど、お連れした方たちの作品への接し方が僕なんかとはまるで違っているのにビックリだった。 僕が「舐めるように」だとしたら彼らは「吸い取るように」味わい尽くしているようだった。微細な表現も捉えようとマイクロスコープのようなものを取り出してゆっくりと対峙しておられる。 蔵さんが「いっやあかなんなあ、粗が見えてしまう。」なんて言ってたけど、彼らに鑑賞されるのを喜んでいるようだった。その証拠にいつもは少ない口数がやたら饒舌になってた。ぼくはさきほど一人でゆっくり観た上に、彼の説明がたくさん聞けたので二倍楽しむことが出来た。
ホアグラさんやY女史は色々細かな点に至るまでやり取りして楽しんでおられるようだった。蔵さんのこの仕事に光が当てられるといいなあと門外漢の僕ですらそう思った。
彼は昔っからの知り合いなんだがしょっちゅう会ってる訳じゃない。数年前、所用あって浄瑠璃寺のあたりを歩いていたらばったり蔵さんと遭遇した。「いやあ久しぶり元気してた?」ってぼくが聞いたら「いや、死にかけてた。」「仕事は?焼きは?」彼はその筋では知られた陶芸作家なのでそう聞いたんだが「力のいる仕事はもうできまへん。今は撥鏤やってる。」「????」そこでお店へ寄ってお話を聞いたり、「芸術新潮」の記事を見せていただいたりして納得したのだった。
彼は若かった時からひょうひょうとした物言いで周りを煙に巻くようなところがあったけど、ときすでに白洲正子さんの目に留まるところがあって全国レベルのモノ創り人だった。そんなこと全く頓着ない…そんなところが僕は気にいってた。僕が仲間たちと年に一二度ジャズライブを催すと彼は必ず聴きに来てくれてたし。まあその程度のお付き合いしかなかったんだが、教育についても一家言のある人だったからよく話はさせてもらった。
と長い前置きを書いて、今日のトピックに入る。
その蔵さんが奈良の「五風舎」で個展を開く。東大寺大仏殿の西隣。道路の突き当りに戒壇院の屋根が見える。手前は入江泰吉の旧居である。
象牙の尺を藍や紅にそめて限りなく繊細に刷毛で掃いたような線刻を施してあって、そこだけ象牙の地の色が出て図像になっているのだ。鏡に映る裏側の絵も舐めるように観させていただいた。図柄は鳥や獣に図案化された古代の文様、花や木々の小宇宙だった。
以上で奈良の小さな個展の記事は終わるのだが、ここからが今日の記事ははじまる。
僕が昨日ここへ行ったのは実は東京から知人の来訪に合わせてのことだった。ロマネスク繋がりで僕が師と仰いでいるほあぐら夫妻(この方もブログにリンクさせてもらっています)が、お越しになるというのでお会いしない方はなかろうと出向いたのだった。
僕が着いたのは早めだったから先にみせていただいて外で待っていた。タクシーからほあぐら夫妻と二人の女性もいっしょに降りたのだった。ほあぐらさんからY女史と一緒にとは聞いていたけれど、紹介していただくのも畏れ多いような高名な御方だったので「光栄です」としか言えなんだわ。
さて、彼らともう一度作品に向かったのだけど、お連れした方たちの作品への接し方が僕なんかとはまるで違っているのにビックリだった。
ホアグラさんやY女史は色々細かな点に至るまでやり取りして楽しんでおられるようだった。蔵さんのこの仕事に光が当てられるといいなあと門外漢の僕ですらそう思った。
by otebox
| 2015-11-06 23:35
| アート&クラフト
|
Comments(2)
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-11-07 10:51
たまにそういう方に(創る方も観る方も)自分の人間が紙ッぺらになって空に飛んで行っちゃうような気がします。
でも拝見したいなあ。近ければなあ。
でも拝見したいなあ。近ければなあ。
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Commented
by
otebox at 2015-11-07 14:55
あくまでリベラルを貫いておいでなので、肩ひじはることはなかったんですけどね。そうそう、飛んじゃいそうで、私は早めにおいとましたのでした。