2012年 08月 13日
どうなっとんじゃア |
福島からの子ども達と過ごす「絆キャンプ・イン多々羅」のことはさらりと紹介した。事柄だけの報告だからそれでよかったんだが、今日はそこから話が進んで出てきた副産物のことを書く。いわば「おまけ」のなのだが超重たいおまけだった。
「サイエンスショーどこでもいくでぃ」は主に理科教師で作る団体だが、のぼるちゃんもそう。自然科学の不思議を子ども達に掴んでほしいとの思いから次々に繰り出すあれやこれやをショーアップしてみんなで楽しもうとしている。彼はこの一年ほど放射線量計をたずさえて何処にでも赴き、「〇〇マイクロシーベルト!」なんてこともやってる人だ。ぼくは理科が専門じゃないけど、子どもの扱いなら任してってことで名を連ねてる。もちろん好きな分野でもあるので。
のぼるちゃんはこのブログでもお馴染みの「ピースギャラリーTANADA」のオーナーである。ピースを謳ってるってことは平和や反核への思いが強いのは当然。今回の「絆キャンプ」参加者の中に福島在住のAさんがいて、やりとりしているうちに福島の本当を語ってほしいわあとなったようだ。
Aさんは津波被害の甚大だった浜通りではなく家屋は無事だった。中通りだけど大量の放射能で汚染された地域のことを住人の一人として事が起こった3・11から現在に至るまでの生々しい話を語ってくれた。そして一貫して「これはわたしの考えです。」を繰り返していた。同じ数値から真逆の結論に至る人もいるのですから、わたしが嘘かもと言いながら、厳しく政府やお役人体質、マスコミを斬りまくっていた。ぼくもこれまでずっと政府も学者も嘘ばっかと思ってたけどこんなにリアルな隠蔽行為を感じたことがなかった。彼らの常套手段である数値の読み替えも、戦時中につながるお国のために滅私奉公感覚も、彼は只中にいて発言する事のまたは発言しない事の罪悪感を語り続けた。自分はノイローゼなんだ、普通でなんかいられる筈がない状況を走り続けていると。彼は自嘲気味に言っていたが・・・
メモも取らずカメラも持ち出さず、ぼくはただ聞いていた。0.6マイクロシーベルト→病院の放射線室と同等レベル、それ以上だと全員避難対象になる筈のところを巧妙にぼかしているという。県庁所在地の市で高い放射線量の数値が出ても百万人の避難場所の確保はできないし、握りつぶす国、県や市の欺瞞、不安を煽るなという世間、お上にたて突くなという上司、みんなに申し訳ないという同僚達の狭間で疑問符を投げかけ続ける彼の闘いは果てしない。非国民のレッテルを貼られかねない状況の中にいて、それでも誰もが高濃度の放射線を現在も浴び続けて暮らさなければならないのだ。
かねてからぼくの思い「がんばれニッポン、がんばれ東北、がんばれ福島なんて標語は嫌いだ。」と同じ言葉を彼から聞いた。ぼくは僕のスタンスで動く。おまえなんかに言われたくない。思いは一緒だった。善意面して個を封じ込めるんじゃないよ。
これは安全ですよと全国から届けられる食品が福島の人の食を安全にすることは、福島に住み続けることを長びかせるようで、それはそれで良くないと彼は考える。また、地産地消というけれど、福島の農家が元気になって農作物をどんどん生産し続けることが、結果的に沢山の健康被害を作り出すことになるのではないか考えない訳にいかないと彼は思うのだった。10年20年先に悔いを残さない選択を探し続けて走っている人なんだと思った。
そんなにしているのに、「わたしはまだ福島から逃げ出していない。ここは安全ですと言ってるようなものだ。一刻も早く出たい。」と言いつつ暮らせるだけの当てがないのでずるずるきてしまっている。そらそうや、収入なくて暮らせない。彼が就ける仕事ないですか?
少ない脳にあまり沢山入りすぎてまとまりませんでした。除染とかの実態や高濃度の放射線量のあれこれを聞いていて、ぼくの外国の友人たちが東日本大震災のときにかけてくれた言葉を今更のように思い出していた。関西人のボクは、津波からも事故を起こした原発からも遠く離れて全く平気な返答をしていたけど、ちっぽけな島国日本の放射能汚染を心配してくれた友人達の方が絶対正しかったのだと思う。自分はこの大騒動の外の人みたいな認識じゃいられない核の脅威の真っ只中にいることを知りました。Aさんありがとうございましいた。
「サイエンスショーどこでもいくでぃ」は主に理科教師で作る団体だが、のぼるちゃんもそう。自然科学の不思議を子ども達に掴んでほしいとの思いから次々に繰り出すあれやこれやをショーアップしてみんなで楽しもうとしている。彼はこの一年ほど放射線量計をたずさえて何処にでも赴き、「〇〇マイクロシーベルト!」なんてこともやってる人だ。ぼくは理科が専門じゃないけど、子どもの扱いなら任してってことで名を連ねてる。もちろん好きな分野でもあるので。
のぼるちゃんはこのブログでもお馴染みの「ピースギャラリーTANADA」のオーナーである。ピースを謳ってるってことは平和や反核への思いが強いのは当然。今回の「絆キャンプ」参加者の中に福島在住のAさんがいて、やりとりしているうちに福島の本当を語ってほしいわあとなったようだ。
Aさんは津波被害の甚大だった浜通りではなく家屋は無事だった。中通りだけど大量の放射能で汚染された地域のことを住人の一人として事が起こった3・11から現在に至るまでの生々しい話を語ってくれた。そして一貫して「これはわたしの考えです。」を繰り返していた。同じ数値から真逆の結論に至る人もいるのですから、わたしが嘘かもと言いながら、厳しく政府やお役人体質、マスコミを斬りまくっていた。ぼくもこれまでずっと政府も学者も嘘ばっかと思ってたけどこんなにリアルな隠蔽行為を感じたことがなかった。彼らの常套手段である数値の読み替えも、戦時中につながるお国のために滅私奉公感覚も、彼は只中にいて発言する事のまたは発言しない事の罪悪感を語り続けた。自分はノイローゼなんだ、普通でなんかいられる筈がない状況を走り続けていると。彼は自嘲気味に言っていたが・・・
メモも取らずカメラも持ち出さず、ぼくはただ聞いていた。0.6マイクロシーベルト→病院の放射線室と同等レベル、それ以上だと全員避難対象になる筈のところを巧妙にぼかしているという。県庁所在地の市で高い放射線量の数値が出ても百万人の避難場所の確保はできないし、握りつぶす国、県や市の欺瞞、不安を煽るなという世間、お上にたて突くなという上司、みんなに申し訳ないという同僚達の狭間で疑問符を投げかけ続ける彼の闘いは果てしない。非国民のレッテルを貼られかねない状況の中にいて、それでも誰もが高濃度の放射線を現在も浴び続けて暮らさなければならないのだ。
かねてからぼくの思い「がんばれニッポン、がんばれ東北、がんばれ福島なんて標語は嫌いだ。」と同じ言葉を彼から聞いた。ぼくは僕のスタンスで動く。おまえなんかに言われたくない。思いは一緒だった。善意面して個を封じ込めるんじゃないよ。
これは安全ですよと全国から届けられる食品が福島の人の食を安全にすることは、福島に住み続けることを長びかせるようで、それはそれで良くないと彼は考える。また、地産地消というけれど、福島の農家が元気になって農作物をどんどん生産し続けることが、結果的に沢山の健康被害を作り出すことになるのではないか考えない訳にいかないと彼は思うのだった。10年20年先に悔いを残さない選択を探し続けて走っている人なんだと思った。
そんなにしているのに、「わたしはまだ福島から逃げ出していない。ここは安全ですと言ってるようなものだ。一刻も早く出たい。」と言いつつ暮らせるだけの当てがないのでずるずるきてしまっている。そらそうや、収入なくて暮らせない。彼が就ける仕事ないですか?
少ない脳にあまり沢山入りすぎてまとまりませんでした。除染とかの実態や高濃度の放射線量のあれこれを聞いていて、ぼくの外国の友人たちが東日本大震災のときにかけてくれた言葉を今更のように思い出していた。関西人のボクは、津波からも事故を起こした原発からも遠く離れて全く平気な返答をしていたけど、ちっぽけな島国日本の放射能汚染を心配してくれた友人達の方が絶対正しかったのだと思う。自分はこの大騒動の外の人みたいな認識じゃいられない核の脅威の真っ只中にいることを知りました。Aさんありがとうございましいた。
by otebox
| 2012-08-13 22:03
| 独り言
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