2017年 01月 20日
今日は「えん」の日 |
あれから一週間…また木曜日…いつものように集まって、みんなの「えん」は6回目。
もう始まっている高齢化社会に一石をと思って、ぼくはなるたけ顔を出そうと決めた。
ここのサロンは始まってひと月足らずの手探り状態だけど、それだから余計に利用者さん・スタッフさん・皆さんの様子は見るに値するはず。
のはずが集ってくる人たちは増えない(宣伝が行き届いてない)し、男性は来ない。やってる中身はいつも体操・唄・手遊びじゃあそそられないんじゃない。
5回目の「えん」に出て、僕の感じたことをいくつか書いたけど、ぼくは保育園か介護施設のような扱いで「よいしょ」されるような場所なんぞ望みじゃないし、おおかたの男性陣もそうなんじゃないか。
自分の智識が生かせるような、知的好奇心をくすぐられるような、例えばゲートボールや碁会所には男どもが多いことを思うと、まだまだ工夫の余地はある。
さてさて、本日の「えん」が始まる。主催がどうでもよい長ったらしい挨拶をして、コーディネーターが進行する。手遊びも体操も自己紹介も6回目ともなると出尽くして、今日は各自が「昔の遊び」を語ることにした。
自分が好きだった(得意だった)遊びをそれぞれ語っていったのだが、何番目かのばあちゃんが
「私に遊びの思い出はありません。子どものときに母を亡くし、父は戦場、預けられた家での辛い思い出しかないのです。」
と語りだし、自分の身の上に繰り返し起きた不幸を(幸せも)喋りはじめた。居合わせた全員が、それだけで一冊の本にでも出来そうな自分史を聞くことになったのだけど、嫌な事ではなかった。
コーディネーターの仕掛けに乗らなかったばあちゃんの勝ち。
聞きながらぼくは「これだ!」って思ったね。彼女だけじゃなく誰も自分を持っている。お仕着せの「定食」や「詰め合わせ」に『おいしゅうございます…』なんて言いあっている必要はないのだ。
ここには物分かりの良さだけじゃない自分が躊躇なく曝け出せるような空気が必要なんだ。
それに気づかせてくれたばあちゃんありがとう。
先週の僕の悶々に答えてくれて
こんなのだったら続けてみようと思った。
もう始まっている高齢化社会に一石をと思って、ぼくはなるたけ顔を出そうと決めた。
ここのサロンは始まってひと月足らずの手探り状態だけど、それだから余計に利用者さん・スタッフさん・皆さんの様子は見るに値するはず。
のはずが集ってくる人たちは増えない(宣伝が行き届いてない)し、男性は来ない。やってる中身はいつも体操・唄・手遊びじゃあそそられないんじゃない。
5回目の「えん」に出て、僕の感じたことをいくつか書いたけど、ぼくは保育園か介護施設のような扱いで「よいしょ」されるような場所なんぞ望みじゃないし、おおかたの男性陣もそうなんじゃないか。
自分の智識が生かせるような、知的好奇心をくすぐられるような、例えばゲートボールや碁会所には男どもが多いことを思うと、まだまだ工夫の余地はある。
自分が好きだった(得意だった)遊びをそれぞれ語っていったのだが、何番目かのばあちゃんが
「私に遊びの思い出はありません。子どものときに母を亡くし、父は戦場、預けられた家での辛い思い出しかないのです。」
と語りだし、自分の身の上に繰り返し起きた不幸を(幸せも)喋りはじめた。居合わせた全員が、それだけで一冊の本にでも出来そうな自分史を聞くことになったのだけど、嫌な事ではなかった。
コーディネーターの仕掛けに乗らなかったばあちゃんの勝ち。
聞きながらぼくは「これだ!」って思ったね。彼女だけじゃなく誰も自分を持っている。お仕着せの「定食」や「詰め合わせ」に『おいしゅうございます…』なんて言いあっている必要はないのだ。
ここには物分かりの良さだけじゃない自分が躊躇なく曝け出せるような空気が必要なんだ。
それに気づかせてくれたばあちゃんありがとう。
先週の僕の悶々に答えてくれて
こんなのだったら続けてみようと思った。
by otebox
| 2017-01-20 00:21
| 地域ネタ
|
Comments(2)
Commented
by
saheizi-inokori at 2017-01-20 00:33
いい話ですね。
年寄りは、そういう風に自分を解放できる場があったらどれだけ嬉しいことかと思います。
年寄りは、そういう風に自分を解放できる場があったらどれだけ嬉しいことかと思います。
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by
otebox at 2017-01-20 08:41
saheiziさんありがとうございます。
夜、サロンの担当者から、思わぬ方向へ走っちゃったことについて反省の電話をいただいたそうです。
私は不在でしたが、妻が「だから良かったのですよ。」と私の分まで答えてくれたみたいです。
夜、サロンの担当者から、思わぬ方向へ走っちゃったことについて反省の電話をいただいたそうです。
私は不在でしたが、妻が「だから良かったのですよ。」と私の分まで答えてくれたみたいです。