2011年 06月 28日
ピザの日 |
Syo君はぼくが初めて担任した1年生だ。あの頃ぼくはまだ30をちょっと出たくらいで若かった。
1年生の担任と言えば、少しは経験を積んだ女性教師というのが相場だったけど、その前年6年生を卒業させたばかりのぼくは全ての学年を持ってみたかったし、やってみたいと思ったのだった。
果たしてもう何もかも新鮮で驚きばかりの日々だった。高学年の指導でならファジイでアバウトも良かったけれど(6年生なら自分の考えで歩き始めたがる)、1年生には通用しない。箸の上げ下げに至るAからZまで指導しないでは動かないのだった。親たち(母親だけど)も子どもの現実を見るより細かな箸の上げ下げまでの指導を要求したから、ぼくのやってることは折に触れて衝突することがあった。
ある参観日、隣の教師と授業の流れを打ち合わせて、下校までの手順を決めたとき「最後に握手して終わろうな。」と決めたのだったが・・・実際には下校のゴタゴタを済ませていると時間が無くなって、帰りの歌を歌って、はい帰りの準備をして、オルガンの所で「さよなら」となってしまったのだ。ぼくのところに握手に来る子はもちろんいたけど、みんなではなかった。隣のクラスは握手のために全員が列を成して待っていたらしい。そんなことぼくは知らん。
参観後の懇談会で「お隣のクラスはみんなが握手してました。」と仰るお母様があって(隣のクラスと比較してたんかい?)、アバウトな空気に釘を刺そうとされたかに見えたとき一人のお父さんが「子どもっていろいろあるんですよ。握手したい子も、今日は構われたくない子だってね。子どもの望みに見事に寄り添っていただいてるんじゃないですか。」とだいたいこんな事を言われた。この一言でぼくはどんなに救われたか。
こんな風に「わたしはここが良いと思っている。」という声は教師には届きにくいものだ。ややもすると批判ばかりが耳に届き心を病んでしまう場合だってあるからね。これがSyo君のお父さんだ。彼は墨絵を描く人で、これ以後近しく話が出来るようになり、芸術論や生き方にいたるまでたくさんのことを学ばせてもらっている。
ぼくは当時、父親ではあったけれどまだ若かったから、お母様には信頼に足る完成度ではなかったのだろう。でもそれは時が解決した。そしてあの日からぼくは自分の信じる道を歩く事、自分らしくある事を一番に考えるようになった。今のぼくの素地がこのとき出来たのだと思っている。だから彼は人生の師というわけ。
前置きが長くなったが、今日はそのSyo君のお家でピザをご馳走になった。今までにもおいしいパスタをご馳走になったり、金接ぎの話題(鋳掛屋)でブログに登場してもらってる。彼はお父上の墨絵じゃなく彫刻を学んだ芸術家だが、漆や金接ぎもやってる。こないだの個展で気に入った作品を一つ譲っていただいたので、我家に彼の作品はいくつかある。
彼とのお付き合いも30年は超える訳だけど、これは彼のお父さんと関係があるわけではない。若いけど彼の生き方には筋が通っていて惚れているのだ。うちは夫婦とも。作品もめちゃいいしね。
では写真と動画です。最初に生地
次に具 まあるくのばして トッピングして、窯に入れる。
ほら出来上がり。 6~7枚焼いたかな。6時から10時半まで楽しいお喋りとピザの日でした。
ご馳走様でした。
1年生の担任と言えば、少しは経験を積んだ女性教師というのが相場だったけど、その前年6年生を卒業させたばかりのぼくは全ての学年を持ってみたかったし、やってみたいと思ったのだった。
果たしてもう何もかも新鮮で驚きばかりの日々だった。高学年の指導でならファジイでアバウトも良かったけれど(6年生なら自分の考えで歩き始めたがる)、1年生には通用しない。箸の上げ下げに至るAからZまで指導しないでは動かないのだった。親たち(母親だけど)も子どもの現実を見るより細かな箸の上げ下げまでの指導を要求したから、ぼくのやってることは折に触れて衝突することがあった。
ある参観日、隣の教師と授業の流れを打ち合わせて、下校までの手順を決めたとき「最後に握手して終わろうな。」と決めたのだったが・・・実際には下校のゴタゴタを済ませていると時間が無くなって、帰りの歌を歌って、はい帰りの準備をして、オルガンの所で「さよなら」となってしまったのだ。ぼくのところに握手に来る子はもちろんいたけど、みんなではなかった。隣のクラスは握手のために全員が列を成して待っていたらしい。そんなことぼくは知らん。
参観後の懇談会で「お隣のクラスはみんなが握手してました。」と仰るお母様があって(隣のクラスと比較してたんかい?)、アバウトな空気に釘を刺そうとされたかに見えたとき一人のお父さんが「子どもっていろいろあるんですよ。握手したい子も、今日は構われたくない子だってね。子どもの望みに見事に寄り添っていただいてるんじゃないですか。」とだいたいこんな事を言われた。この一言でぼくはどんなに救われたか。
こんな風に「わたしはここが良いと思っている。」という声は教師には届きにくいものだ。ややもすると批判ばかりが耳に届き心を病んでしまう場合だってあるからね。これがSyo君のお父さんだ。彼は墨絵を描く人で、これ以後近しく話が出来るようになり、芸術論や生き方にいたるまでたくさんのことを学ばせてもらっている。
ぼくは当時、父親ではあったけれどまだ若かったから、お母様には信頼に足る完成度ではなかったのだろう。でもそれは時が解決した。そしてあの日からぼくは自分の信じる道を歩く事、自分らしくある事を一番に考えるようになった。今のぼくの素地がこのとき出来たのだと思っている。だから彼は人生の師というわけ。
前置きが長くなったが、今日はそのSyo君のお家でピザをご馳走になった。今までにもおいしいパスタをご馳走になったり、金接ぎの話題(鋳掛屋)でブログに登場してもらってる。彼はお父上の墨絵じゃなく彫刻を学んだ芸術家だが、漆や金接ぎもやってる。こないだの個展で気に入った作品を一つ譲っていただいたので、我家に彼の作品はいくつかある。
彼とのお付き合いも30年は超える訳だけど、これは彼のお父さんと関係があるわけではない。若いけど彼の生き方には筋が通っていて惚れているのだ。うちは夫婦とも。作品もめちゃいいしね。
では写真と動画です。最初に生地
ほら出来上がり。
ご馳走様でした。
by otebox
| 2011-06-28 01:56
| 食べる
|
Comments(2)
Commented
by
asiax at 2011-10-01 16:30
こんばんは
とても心に残る話ですね。
私も結構大雑把な性格で、そのため仕事ではまわりからあたられてしまうのですが、でもどこかで上の記事のお父様のように支えてくれる人がいて、なんとか続けています。
またこれからの更新を楽しみにしてます。
とても心に残る話ですね。
私も結構大雑把な性格で、そのため仕事ではまわりからあたられてしまうのですが、でもどこかで上の記事のお父様のように支えてくれる人がいて、なんとか続けています。
またこれからの更新を楽しみにしてます。
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otebox at 2011-10-01 22:09
asiaxさま、おもねらず媚びない生き方を貫くのはなかなか難しい事。彼はそれを自然体でやっちゃう数少ない人だと思います。ものすごい制作意欲で人生を駆けておられる墨絵の世界の方ですが、私のセザンヌ開眼は彼とのやりとりからでした。ま、とにかくいろんな引き出しをお持ちで、一度聞いただけでは訳が判らなくてうんと後になって合点がいくなんてこともしょっちゅうですけど。
普段お喋りで軽い私ですが、若い人に対するときは誠実であろうと・・・彼に学ぶところです。
普段お喋りで軽い私ですが、若い人に対するときは誠実であろうと・・・彼に学ぶところです。