2009年 10月 27日
稲藁 |
ぼくが子どもだった昭和20年代、家にある家電というものは電灯とラヂオ、アイロンぐらいのもんだった。その裸電球とラヂオの下に火鉢が置いてあった。で、秋・冬の夜長を大人たちはせっせと藁仕事に精出すのだった。見よう見まねで覚えた縄ないは手が覚えているので、未だに左縄の「しめ縄」だって綯う事ができる。
昔はどの農家でも藁は大事な資源だった。縄、ムシロ、コモ、ワラジ、もちろん風呂や竈の焚付けに使われていた。そんなことはもう昔話になってしまった。
神社の七人衆では毎年、鳥居や社殿にかける「大注連縄」をみんなでこしらえているけどね。
今日の話題は、その藁で焼き芋をしたというお話だ。
うちの田んぼはみなさんの散歩道に面しているので、顔見知りも多いしいつでも挨拶の言葉が飛び交っている。今年は米の収穫時にコンバインで切り刻んでしまわないで、畑仕事用に藁のまま残す事にしたのだが、そうすると「この藁、少しいただいてもよろしい?」なんて方が現れたり、またまた会話が広がった。そしてあらかた片付いた後、ただ処分(燃やす)するだけでは能がないので、焼き芋を思いついた。畑へ行って掘ってみると出てくる出てくるたくさんの薩摩芋(ナルトキントキ)が。あんまり太いものは火の通りが悪かろうと、細っこいのを30本ほど洗って下ごしらえ。そして、藁の中へ放り込んだ。
首尾は上々、散歩のみなさんにふるまって、みんなでホクホクあったかい時間だった。ああおもしろかった。
火をつけてから俄然忙しくなったために、写真はこの1枚しか撮れませんでした。
昔はどの農家でも藁は大事な資源だった。縄、ムシロ、コモ、ワラジ、もちろん風呂や竈の焚付けに使われていた。そんなことはもう昔話になってしまった。
神社の七人衆では毎年、鳥居や社殿にかける「大注連縄」をみんなでこしらえているけどね。
今日の話題は、その藁で焼き芋をしたというお話だ。
うちの田んぼはみなさんの散歩道に面しているので、顔見知りも多いしいつでも挨拶の言葉が飛び交っている。今年は米の収穫時にコンバインで切り刻んでしまわないで、畑仕事用に藁のまま残す事にしたのだが、そうすると「この藁、少しいただいてもよろしい?」なんて方が現れたり、またまた会話が広がった。そしてあらかた片付いた後、ただ処分(燃やす)するだけでは能がないので、焼き芋を思いついた。畑へ行って掘ってみると出てくる出てくるたくさんの薩摩芋(ナルトキントキ)が。あんまり太いものは火の通りが悪かろうと、細っこいのを30本ほど洗って下ごしらえ。そして、藁の中へ放り込んだ。
火をつけてから俄然忙しくなったために、写真はこの1枚しか撮れませんでした。
by otebox
| 2009-10-27 00:42
| 農園日記
|
Comments(0)