2012年 01月 29日
ちょうど1年前の記事を覚えておいででしょうか。我家の目の前、神社の大木がバッサリの一歩手前ぐらいに大なたを振るわれて、見るも無残な姿になったのでした。
ぼくは「たいへんだあ」とは思ったけれど、こうなる事のいきさつを知っていたこともあって、何を一つ出来るでなし、成り行きを見つめていただけだった。もしこの木が枯れでもして、悔やむ日がきたらどうしようとブログに記録しただけだった。ぼくはスピリチュアルななことを考える人ではないけれど、つい先だって亡くなった近所のYちゃんは、あれ(枝打ち)以来脚が痛むねんて、自身の体調と関連付けていた。彼をしてそう思わせ、神が宿っていると言ってもいいほどドシンと立派な木だったもの。還暦の年に逝ったYちゃん、「御祓いせんといかん。」なんて言ってたのを思い出す。災いをあちらへ持って行ってくれたんだと思う事にする。
その木が秋祭りの神輿巡行の日(11/3)に見上げると、ほおら
どっこい生きてるって…切り取られた幹という幹から無数の新芽が吹いているではないか。
本日(1/29)の写真はこれ
よかった。木は生きている。再び前のような勢いで周囲を凌駕しランドマークになるのは、ぼくの生きてる間には無理だろうけど、未来に希望が繋がった。
落ち着いて、去年と同じポイントから写してみた。去年とほとんど変わってないけど、ぼくには見える。百年二百年後のこの木が。
人の営みは連綿と繋がっていて、いつの日もこうして見上げていることだろう。
ぼくは「たいへんだあ」とは思ったけれど、こうなる事のいきさつを知っていたこともあって、何を一つ出来るでなし、成り行きを見つめていただけだった。もしこの木が枯れでもして、悔やむ日がきたらどうしようとブログに記録しただけだった。ぼくはスピリチュアルななことを考える人ではないけれど、つい先だって亡くなった近所のYちゃんは、あれ(枝打ち)以来脚が痛むねんて、自身の体調と関連付けていた。彼をしてそう思わせ、神が宿っていると言ってもいいほどドシンと立派な木だったもの。還暦の年に逝ったYちゃん、「御祓いせんといかん。」なんて言ってたのを思い出す。災いをあちらへ持って行ってくれたんだと思う事にする。
その木が秋祭りの神輿巡行の日(11/3)に見上げると、ほおら

本日(1/29)の写真はこれ

落ち着いて、去年と同じポイントから写してみた。去年とほとんど変わってないけど、ぼくには見える。百年二百年後のこの木が。





















